連休ですが、私の尊敬する戦国武将
【織田信長】に会いに岐阜城へ行ってきました。
そうです。何を隠そう、私の尊敬
する武将とは【織田信長】なのです。
豊臣秀吉、徳川家康、織田信長・・・
この戦国時代の有名な武将3人はよく比較されます。
「鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス」・・織田信長
「鳴かぬなら、鳴かせて見せようホトトギス」・・豊臣秀吉
「鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス」・・・徳川家康
*間違っていたらごめんなさい。。
このような形で・・・
私も歴史、特に戦国時代の歴史が昔
から好きで、かなり勉強したり、調べたりしました。
確かに、性格、特徴を一言で表すと
上記で記されているような人物像だった
ようですが、それは実はほんの一面しか
ありません。
あなたは、この3名の武将だと
だれの生き方が好きですか?
確かに、徳川家康が気が熟すのを
待ち、最終的に長期に渡って
天下統一、平和時代を作りました。
彼は、織田の時代も織田の
右腕として、同盟を結び働き・・
豊臣の時代も同じく、豊臣の
右腕として、働きました。
無理をせずに、自分に流れが来るのを
じっと待ち、最後は誰もがなしえなかった
太平の世・・
しかも100年以上も続く力をもった
安定政権を始めて作りました。
そう考えれば、真の成功者はこの3人の
中では、家康なのかもしれません。
一方豊臣秀吉は?というと、、
【天下布武】というキーワードを掲げ
初めて、天下統一ということを口にし
それを実践し、ほぼそれを実現した時に
部下の明智光秀によって殺された
信長の部下だった秀吉がいち早く、
その後の武将、部下をまとめあげ
日本初の「天下統一」を成し遂げました。
そう考えると、日本で最も早く
天下統一したのは、「豊臣秀吉」ですから
彼が一番の成功者だとも言えると
思います。
でも・・
私は信長を最も尊敬しています。
なぜなら、誰よりも早く
誰も考えなかった・・
いえ、この時代に天下を統一
するのは不可能だとだれもが
考えていた時代に、それを本気で
めざし、
誰よりも早くそれに向かってチャレンジ
そして行動した。
そして、それをほぼ叶えることができた。
彼がいなければ、恐らく、秀吉は
天下統一はできていないし、
その後の徳川も同じです。
そんな彼のチャレンジ精神、
大きな目標を掲げ、誰もが笑う中
本気で出来ると確信して、
行動した、マインドセット
スピード、行動力
冷酷な部分も確かにありましたが
それは、「天下統一」という目標
だけに「焦点」を絞った結果の対応だったのです
つまり、目標を達成することだけに
集中したのです。
その為に、いち早く海外の武器や道具を
取り入れたのです。
この集中力、発想力、柔軟さ、アイディア力
素晴らしいと思います。
まさに彼は今で言うと、優れた
起業家だったのだと思います。
彼がある程度天下を統一したのを
秀吉がまとめていき、
その後家康が制度、体制作りをしていった
という感じだと思います。
彼が当時
何を考え、どのように生きていたのか?
岐阜城に来て、少し感じることが
出来たような気がします。
この日は、岐阜の都ホテルの
スイートに泊まり、アイディア出し
をひたすらしました
その後、久しぶりに、鉄板焼き
コースで飛騨牛を食べました。
**いつもこのような贅沢をしているわけ
ではないですよ。普段は最近玄米食、菜食主義
になっていまして、3キロくらい痩せました。
体を壊した事もあり、それをきっかけに食生活
を変えました。
私も信長のように、時代を読み、新しいアイディア
をいち早く取り入れ、大きな目標を掲げ、そこだけに
一心不乱に集中、スピード、実践、行動できる起業家であり
経営者でありたいと思います。
先日も、三越池袋店、鹿児島店が閉鎖
されました。
倒産、廃業が相変わらず相次いでいます。
10年前と今とでは、全く状況は違います。
3年後、5年後も今とは全く異なると
思います。
今要求されることは、まさに
【信長】のような起業家、経営者であることではないでしょうか?
*資本力のある大企業は別です。
でないと、3年後は生き残れない・・
ビジネスを拡大できないと思います。
お互い頑張りましょうね。。
これから、2つの錬金術について
お話していきます。
どちらも、【驚愕するテクニック】です。
お楽しみに・・・
山口友紀雄